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ゼロ・トレランス(◯◯スタンダード、◯◯ベーシック)は、細かいマニュアルを全ての教員が遵守し、そのマニュアルにより生徒、学生を管理する教育制度です。

例えば東京都では、今年度、全ての高校で、全ての教員が同じマニュアルで生徒を管理するよう決まっているそうです。ベテランの先生も、新人の先生も同じマニュアルに従うことになります。
やり方のわからない新人には助かるかもしれませんが、ベテラン先生の経験が生かされる機会は減ります。そして、新人がベテランに訊く機会も。

ゼロ・トレランスがどのように日本の教育現場に持ち込まれているか、資料と共に報告者の木村浩則さんに紹介いただき、その後に意見交換をしました。紹介だけで90分近くかかったのですが、それはこの教育制度の複雑さと問題の多さを表しているのではないかと思います。

配られた資料のマニュアルのチェック項目の多さも注目すべき点ですが、添付されていた教育基本法がどう改変されたかも、とても興味深かったです。新設された項目に着目下さい。

私がショックだったのは、教育基本法が変わったことにより、「大学の自治」が死んだということです。
教育界のピラミッドの頂点に政府があり、全ての教育機関がその下に入れてしまわれたそうなのです。

配られた資料、教育基本法の改正前後

木村さんによれば、ゼロ•トレランスという制度で教師は考える機会と成長の機会を失い、いつまでも監視され評価される対象になってしまうそうです。
細かくて膨大なマニュアルは、生徒だけではなく教師を管理•監視する道具でもあるのです。

そして、そのマニュアルに基づいた採点が教育機関を出た就職にも使われるのでは、という指摘も木村さんはしていました。
この度導入される、マイナンバーとの紐付けの可能性もあるのではと、参加者から意見も出ました。

私たちは生まれてから死ぬまで監視されて生きていくのでしょうか。
ハリウッド映画のようなことが、すでに日本で起きているのだと思わずにはいられないお話でした。

ただ、希望がないわけではないと思ったのは、このテーマの話を聞きに少しでも人が集まったということです。
その希望が広がっていくことを、私は願います。

(文責・南部)

JUGEMテーマ:教育
いつものことですが笑、遅くなりましたが例会の報告です。

2013年1月26日(土)に第9回例会が開かれました。
新宿3丁目ルノアール会議室にて、16:30からの開催でした。
今回の講師は、わたくし南部宏子でテーマは「マンガの描き方」。

自分をモデルにした主人公で6コママンガを描きました。

マンガのストーリーを考えるのにいちばん重要なものは何か?
それはキャラクター設定。
そしてそれをもとにした「ネーム」という作業。

その作業に力を入れ、かつ早くキャラクターをつくれる「自分」という題材で、まずはキャラクターを固めます。



家族構成や、好きなものや、どんな人生を送ってきたかを埋めていくと、そのキャラクターの「強く思っていること」が浮かんで来ます。

これは、実はそのマンガのテーマです。
オチが浮かばない時、コマが埋まらない時、せっかく作ったキャラクターの個性が出ていない時、そのテーマや、キャラクターのシートに書いた特徴に戻ると、6コマ全てにキャラクターの個性が出たマンガを描くことが出来ます。



↑えんぴつで書いたところがかすれていますが、テーマが「みんな仲良くしようよ!」



↑小さくで見づらいですが、そのテーマをもとにつくられた作品です。
1コマめに、決まりごととして「私(僕)○○!」という自己紹介とテーマを書いてもらっています。
正義感の強さが出た元気な作品ですね。



↑最初の写真の方は「ていねいに生きたい」というのがテーマでした。
絵もていねいですね。



↑この方は「ケンカはやめよう」がテーマなのですが、それが2コマめに来ました。
平和主義者の参加者が多いですね笑。



↑ふだん、絵を描かない方ですが、下書きなしの方が味が出そうなので、ペンで一発描きしてもらいました。

「ともにゃん」も「ぶぅちゃん」も、美術の授業ならばいい点はもらえないかもしれませんが、キャラクターとしてそれぞれの味を持って存在しています。

「絵が描けなくてもマンガが描ける、かも」と私は言いますが、そのことを端的に示していると思います。
それは第7回例会の「絵は誰でも描ける」に通じるものではないかな、と勝手ながら思っています。

そして、キャラクターのシートに自分の特徴を出し切ることで、より親近感・人間味のあるキャラクターをつくることが出来ます。

参加者のみなさんが格好つけず、自分を出してキャラクターをつくっていったのは、このテーマをやってみて、とてもよかったことだなあと、例会の成功を喜びながら新宿を後にしました。



次回の例会はただいま調整中です。
こちらでの報告をお待ちください。

文責・南部
更新が大変遅れて申し訳ありません。

2012年10月22日(土)に、第8回例会が開催されました。
ふくろうゼミの原点に立って、池袋ルノアールの会議室にて16:30からの開催でした。
今回の講師鵜殿篤さん。テーマは「お城の歩き方」。

東海地方、戦国時代を中心とした城、武将についてのお話をしていただきました。
以下、鵜殿さんに書いていただいた報告です。



お城の歩き方:報告=鵜殿篤

趣味の城をテーマにお話ししました。
城というと、まずは立派な天守閣を思い浮かべるのが普通だと思います。が、今回お話ししたのは、建物など跡形もなくなって、堀と土塁(土を盛って築いた防御壁)しか残っていない、観光地でも何でもない城です。

まず注目するのは、愛知県蒲郡市にある、上ノ郷城です(図1)。


蒲郡駅から北へ向かって徒歩15分くらいのところにあります。なぜここに注目するかというと、私のご先祖様が守っていたかもしれない城だからという、徹底的に個人的な理由です。

上ノ郷城は鵜殿氏の居城でしたが、1562年に徳川家康の攻撃により落城、城主の鵜殿長照は討死します。上ノ郷城合戦は、歴史マニアの間では忍者が実戦で活躍した最初の戦いとして有名です(図2)。


上ノ郷城が落ちた1562年というのが重要なタイミングで、桶狭間の合戦(図3)から2年後に当たります。


1560年の桶狭間の合戦といえば、織田信長の華麗なデビュー戦として有名です。桶狭間で織田信長が今川義元を破ったことにより、それまで今川家の人質となっていた徳川家康が独立し、信長と家康が清洲同盟を結んで、信長は西へ、家康は東へと領土を伸ばしていきます。
家康の三河統一の過程で血祭りに上げられたのが、上ノ郷城の鵜殿氏というわけです。鵜殿長照が今川義元の妹をお嫁さんに貰っていた関係で、鵜殿氏は今川氏を裏切ることができず、家康の三河統一戦争で最大の標的とされていたのでした。

鵜殿長照を倒して三河を統一した家康は、最終的には天下分け目の関ヶ原に勝利し、郷土の大英雄となりました。現在は「グレート家康公葵武将隊」が結成され、家康の拠点だった岡崎城で多くの観光客をなごませております(図4)。


立派な天守閣の建つ岡崎城は、桜や藤など花の名所として、また格好の散歩コースやデートスポットとして毎日多くの人で賑わっています。一方、敗者となった鵜殿氏の上ノ郷城は現在ミカン畑となっており、訪れるのは、まあ、城マニアくらいです。

そして桶狭間の合戦で大きなポイントとなる城が、桶狭間から3kmほど西、名古屋市の南東にある大高城(図5)です。


桶狭間の合戦について、しばしば今川義元が京都に向かうのを信長が阻止したというように説明されることがありますが、実際のところは、信長が今川氏の領土にちょっかいを出していたのを義元が阻止しに自ら立ったというのが真相ではないかと思います。信長がちょっかいをかけていた今川氏の城が、この大高城です。
そしてちなみに、そのとき大高城を守っていたのが、鵜殿長照でした(図6)。信長軍に包囲されて困っていた鵜殿長照を助けるため、包囲網を突破して大高城に食料を運び入れたのが、当時今川家の人質となっていた徳川家康です。その2年後、家康が長照を滅ぼしているあたり、諸行無常な戦国時代であります。



大高城の周囲には、信長方の拠点だった鷲津砦や丸根砦などがあります。信長は、鷲津砦や丸根砦などを見捨てておとりにし、桶狭間での奇襲を成功させることになります。全滅した丸根砦の守備兵のために、跡地に慰霊碑が立っています(図7)。


ということで、桶狭間さえなければ、ひょっとしたら鵜殿氏はもっとブイブイ言っていたのかもしれませんが、残念ながら今川家と共に滅んでしまい、長照の娘は家康の妾とされてしまいます。
家康の妾とされた西郡局(にしのこおりのつぼね−上ノ郷のあたりは西郡と呼ばれていた)は一人の娘を生み、その娘は関東平野の覇者であった北条氏直に嫁ぎます。
この北条氏直は、桶狭間から30年後の1590年、天下統一を目指す豊臣秀吉と衝突することになります。このいわゆる小田原征伐は、忍城攻防戦を描いた『のぼうの城』の背景として知られていますが、鉢形城や八王子城など城を中心に見ていくのもたいへん面白いので、これはまたの機会に。




ふくろうゼミ事務局は鵜殿講師に城・そして歴史への強い情熱を感じ、城はシリーズ化して開催しようという話になりました。

次回の城の回も楽しみにしています。
いつにしましょうね。

みんなで城跡をたずねるフィールドワークもいいかなと考えています。
ご興味のある方はぜひご参加ください。

「あの武将の知略はいくつだ」とかの「信長の野望」トークにもがっぷり四つで取り組める鵜殿講師の活躍にこれからも期待します。

ありがとうございました。

次回のふくろうゼミは2013年1月26日(土)新宿ルノアール会議室にて、16:30からです。
テーマは「マンガの描き方」です。
詳しくはまたこちらにアップします。

みなさんよいお年を。

(文責・南部)
2012年8月11日に、第7回例会が開催されました。
東京都文京区の大学にて15時よりの開催でした。
今回の講師は三船(仮名)さんで、内容は「絵画ワークショップ」です。


ふくろうゼミは2009年の発足から、以下のようなテーマを報告してきました。

�JAPANウニヴェルシタス構想とマルチチュードとしての大学  木村浩則

�いまのニッポンには“プロレス”が足りない  松田靖幸

�いかに絆を結び合うか―新たな生(life)の基盤として―  小倉康嗣 

�高等英語教育の現場からみる、教育・現代そして人間  泉暁

�日本における反閉(へんばい)の作法について  高野暁子
*反閉…中国に起源を持ち、日本の陰陽道・修験道・芸能等に影響を与えた呪法の一つ

�デッサン教室―絵は誰でも描ける― 三船

今後も大学の外での知的討議空間の創造をめざし、例会を重ねていきたいと思います。


第7回例会の様子を講師の三船さんにまとめてもらいました。



今回は「絵画ワークショップ」というタイトルで、2010年に実施させていただいた「デッサン教室」とほぼ同じ内容をお話させていただきました。「教室」と銘打ってはいますが、いわゆる教室のように「絵の描き方」「テクニック」...というもののレクチャーではなく、「絵を描くにあたっての対象物への向き合い方」がメインのお話です。



『絵は誰でも描ける』
絵が苦手な人、という方はたくさんいらっしゃいます。僕は、そういう方々のうちほとんどが「描けない、苦手だ、と思い込んでいる人」だと考えています。



今回のワークショップでは、まず自由に対象物(テーブルの中央にレンガを1個設置しました)を描いていただきました。こちらからの指示は、
・画用紙内に出来るだけ大きく描いてみましょう
・見たものを、見えているように画用紙に描いてみましょう
具体的には、この2つだけです。そしてしばらく自由に描いていただいた後、今度は少しだけ後押しする言葉をかけました。



・描けていない、何か違う、と思ったらそのまま描き進めるのはやめてみましょう
・見えるものが見えたように画面に描けていないと思ったら、消して描き直しましょう

参加者の皆さんは、自分の描いた絵と、対象物を見比べて、「描けていない」という部分がある事に気がつきました。例外なく全員が、自分の描けていない箇所を指摘出来ています。では、その部分は消せば良い。つまり、描けていない場所は消して、描けていると思ったらそのまま描き進める。この繰り返しで最終的には「描ける」のです。具体的なテクニックは必要ありません。時間はかかりますが、(なかなか描けなくても)あきらめず、(早く描き進めたくても)嘘をつかず、まずは描いて、そして消して、描いて、消して..そうして線を探していく繰り返しの先に、完成した一枚の絵が出来上がります。あきらめないという事は大変な事ですが、あきらめずに前に進みさえすれば、『絵は誰でも描ける』のです。



『描き終えて、自の絵を見る』
今回は限られた時間の中での描画でしたので、どうしても「最後まで」描き切る事は難しかったのですが、それでも序盤に描いた絵と、最後に出来上がった絵を比べてみると、驚くほど絵としての完成度が高まっていました。皆さんは自分の絵を見てどう思われたでしょうか?短い時間でしたが、今回のワークショップを通して、絵は誰でも描ける、ということが皆さんに伝わっていたら幸いです。



参加したみなさんの作品です。↓







文責 三船・南部
10月31日午後4時半、池袋のルノアール会議室で第一回例会を行いました。
テーマは、「いまのニッポンには“プロレス”が足りない」。
報告者に、リングアナウンサーの松田靖幸氏を迎え、ゼミ発起人の一人泉暁氏の進行のもと、VTRを駆使しながらエキサイティングな講義と討議が展開されました。そして二次会は、第二ラウンドとして300円居酒屋へ・・・・。


(1)リングアナウンサーというお仕事

「赤コーナー・・・・!」と、かっこよく選手紹介を行うことだけがリングアナウンサーの仕事ではありません。木づち、ストップウォッチ、マイクを抱えながら記録を取る。主催者との打ち合わせ、音響、照明の確認を行う。試合の進行全般をつかさどる舞台監督的なお仕事でもあるのです。


(2)プロレスのいま

本家本元のメキシコやアメリカではお客がかってに盛り上がってくれますが、日本では意識的に盛り上げる努力が必要です。そこで、大型レスラーとの対戦、空中殺法などの華麗な技の競演、過激なデスマッチの登場など、これまでいろいろなジャンルが発展しました。最近ではエンターテイメントプロレスと称した寸劇仕立ての試合も存在します。
日本の高度成長の時代、テレビの登場とともに人気を高め、70年代に一世を風靡した「プロレス」という現象。全盛期、全日本と新日本プロレスの二団体が人気を二分しました。しかしその後団体の分裂が繰り返され、いまやインディーズ系の乱立状態です。以前は1200名収容の後楽園ホールは打って当たり前だったが、800名の会場が困難になり、今では400の会場さえ埋まらない現状です。


(3)それでもプロレスはおもしろい

まず、プロレスはキャラクターやリング外の出来事がおもしろい。ラッシャー木村が行ったリング外でのライブパフォーマンスは多くの観客をひきつけました。記者会見での選手同士のガチンコもファンを沸かせました。全日本プロレス引退後、五万円の資金でFMWを立ち上げた大仁田厚は、過激なデスマッチだけでなく、リング外パフォーマンスの極限のかたちを追求し多くの観客を熱狂させました。それがいわゆる「大仁田劇場」です。一年八か月続いた新日本プロレスへの殴りこみ劇はドラマを観るような感覚でファンをくぎ付けにしました。入場シーンを一つの見せ場にし、入場ゲートからリングまでの過程を移動ではなくエンターテイメントとしてみせるのも、大仁田ならではのものでした。
非日常的なもの、エキサイティングなものを見せる、というところにプロレスの本質があります。おもしろければいい。そのおもしろさを成立させるためにはかなりの工夫や努力が必要ですが、結局は「おもしろければ文句はないだろう」というのがプロレスです。


(4)「プロレスなるもの」の復権

「プロレスなるもの」は、たとえば世界陸上の決勝戦にも見出すことができます。それは、走り高跳び、ドイツのフリードリッヒ選手と世界王者との戦い。王者がオーディエンスを盛り上げ、フリードリッヒがオーディエンスを沈ませる、その展開が繰り返される。自分たちで勝負を観客とともに演出していく、それがまさに「プロレス」です。いまやそうした場面が少なくなりました。「プロレスなるものの」衰退です。
プロレスはなぜ衰退したのか。不景気、インディーズの乱立、ジャンルの細分化、娯楽の多様化、大衆が戦後プロレス文化に飽きた、様々な要因が語られます。もはや日本にプロレスは必要ないのでしょうか。プロレスの再生はありえないのでしょうか。
 最近、松田氏は、「阿佐ヶ谷バトラーツ」という演劇のなかにプロレスの要素を取り入れたあらたなコントパフォーマンスに取り組んでいます。それは、演劇を通じた「プロレスなるもの」の新たな復権の企てと言えるかもしれません。

文責 木村
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