〜ミネルヴァの梟(ふくろう)は夕暮れどきに飛び立つ〜
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次回ふくろうゼミ(第17回例会)のお知らせ
JUGEMテーマ:不登校・半不登校

みなさんこんにちは。
東京は三寒四温で春めいてきましたね。
今年最初のふくろうゼミのお知らせです。

次回のふくろうゼミは4月11日(土)15時から、文京学院大学本郷キャンパスで開催します。
テーマや詳細は以下です。



生きづらさの根本にあるものについてみんなで考えよう!
―ゼロ・トレランス(不寛容)社会を生きる―

報告者 木村浩則(文京学院大学教授 教育学)

報告者の近著「パフォーマンスの統治とゼロ・トレランス国家」(『季刊人間と教育』85号3/10刊行)をもとに、アメリカで地域や学校の治安対策として生まれた「ゼロ・トレランス(不寛容)」をモデルに、日本の学校と労働現場、社会に浸透する管理/監視社会化の現実についてお話しします。
後半では参加者のみなさんでディスカッションをしたいと思います。
論文は読んで来なくても大丈夫です。
ディスカッションも優しく進行しますので、どんな方でも参加出来ます。
今の世の中で生きていて「ちょっとおかしいな」「生きづらいな」、そして「でも自分のせいだろうな」と思う方は、顔を出してみて下さい。
あなたひとりの問題ではないことがきっとわかるはずです。

参考に以下、報告者が教育雑誌『人間と教育』に記した文章の一部を紹介します。報告では「ゼロ・トレランス」が学校だけでなく職場や社会全体の問題であることを明らかにします。

学校をおおう新たな管理と排除のシステム
1990年代アメリカで学校の治安維持を目的に開発された「ゼロ・トレランス」という新たな管理と排除のシステムが日本の学校現場に浸透しつつある。それは、2006年、国立教育政策研究所の「生徒指導体制の在り方についての調査研究」報告書で紹介され、文科省が新たな生徒指導プログラムとして学校現場への導入を推奨するなかで全国的な広がりをみせている。
「ゼロ・トレランス」とは、子どもの問題行動を基準化し、「違反」には減点方式などで厳格に運用して罰を課すというものである。従来の管理主義との違いは、その運用のマニュアル化にあり、学校は、「問題生徒」を排除する徹底した厳罰主義の立場から生徒の問題行動への対処マニュアルを作成し、それに基づいた指導の徹底をはかる。生徒指導のマニュアル化は、とりわけ若い教師に自らの実践の未熟さを補うものとして歓迎されているという。また、保護者・地域に対するアカウンタビリティに応えるものとしても機能する。
教師の多忙化に加え、ベテラン教師の大量退職と若手教師の大量採用は、教師集団に豊かに蓄積された経験の伝承を困難にしている。そこにマニュアルに基づく事務処理的管理手法が入り込んでいく。それは教師の反省的経験を奪い、思考しない教師を作り出していく。「無思考性」、それをハンナ・アレントは「悪の凡庸さ」と呼び、全体主義社会の人間像として告発した。いまや学校の教職員組織は、ピラミッド型の職階構造に改編され、職員会議も上意下達の連絡調整機関と化した。そこにおいて「ゼロ・トレランス」は、新たな教員の管理統制のシステムとして機能する。マニュアル化に基づく「ゼロ・トレランス」は、学校から子どもの理解や指導の在り方をめぐる議論の場を消し去るとともに、教師から自由な実践の機会を奪ってしまうのである。
そして「ゼロ・トレランス」がアメリカの犯罪対策の手法に端を発するものであることも見逃してはならない。「ゼロ・トレランス」な学校像の向こうには、「ゼロ・トレランス国家」、すなわち新たな統治システムによって異質な存在を排除し個人の自由を制限する安倍流「美しい国」の姿が垣間見える。

参加の方はfukurouzemiアットgmail.comへ(アットを@に変更)へご予約ください。
定員は15名です。少人数で人力の対応なので、できればお早目のご予約がうれしいです。

ふくろうゼミ第17回例会

■生きづらさの根本にあるものについてみんなで考えよう!
―ゼロ・トレランス(不寛容)社会を生きる―

■報告者 木村浩則(文京学院大学教授 教育学)
■日時 4月11日(土)15時
■場所 文京学院大学本郷キャンパス
■参加費 無料

(文責・南部、木村)

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